はじめまして。さおりんです。自己紹介を兼ねて、私のこれまでを語ります!ちょっと長いですがお付き合いいただけたら嬉しいです。

幼児期

私はお母さんと離れる事に恐怖を感じていました。常に、母の姿が見える範囲に居たかったので家でも常に母の目が届く範囲に居ましたし、外出先ではずっと母の近くを離れませんでした。そんな私にとって初めての壁は「幼稚園」でした。幼稚園に入ると、母と離れて集団の中で過ごさなければなりません。母は厳しい人だったので、休むなんて許されませんでした。「行きたくない」「お腹が痛い」(本当に痛かったのに)と訴えても聞き入れてもらえません。そうして私は「お母さんは私の話を聞いてくれない。お母さんに言っても仕方ない。」とだんだん心を閉ざしていきます。

小学生

小学生になっても状況は変わりませんでした。それどころか不調がひどくなる一方。波はあれど1日中お腹が痛く、気持ち悪さがありました。母が病院に連れて行ってくれましたが「病気の所見はないので気持ちの問題でしょう」と片付けられ、私は辛くて誰かに助けて欲しいのに、母や学校の先生、病院の先生も誰も助けてくれないという思いが募っていきました。調子が悪いのでご飯もほとんど食べられません。給食の時間は食べ物のにおいが教室中に広まってとにかく気持ち悪くてずっと床を見つめて吐き気と戦う地獄の時間でした。食事がまともに喉を通らない中、飴玉やグミだけは食べる事ができました。飴玉を口に入れると、その間だけは吐き気がおさまる感じがありました。内緒で学校に飴玉を持って行き、吐き気がひどい時にはこっそり口に入れるなどして学校の時間をやり過ごし、常にひとりで不調と闘っていました。「調子悪いから休みたい」と訴えても、母からは「行くだけ行きなさい。どうしてもダメだったら帰ってくればいい。」としか返ってこない。「もう誰も助けてくれない。一人で戦うしかないんだ。」と、勘違いの道を突き進んでいきます。

中学生

小学校高学年ごろから「常に不調と戦っているこんな自分は嫌だ。変わりたい!!」と強く思うようになりました。その頃は体について学ぶ術もなかったので、その想いだけで食事も食べられるようになっていき、少しずつ変化していくことができました。中学生に上がる頃には1日中続く吐き気や腹痛は手放すことができました。が、突然の吐き気やめまい、生理痛、花粉症、暑さと寒さが苦手、頻尿、すぐ疲れる、人混みが苦手、などの症状がありました。部活にも入ることができて、小学生時代よりも学校生活を楽しむことができました。が、この時期は体調よりも心が辛かったです。「自分は必要ない存在」「自分は価値のない存在」「自分はここに居てはいけない存在」のような感覚がずっとあって、急に涙が止まらなくなったり、夜眠れなかったり、自傷行為をしたり、遺書を書いてみたりしていた時期でした。

高校生

不調やネガティブ思考のベースは中学生と変わらなかったのですが、環境が変わって楽しいと思える時間もかなり増えました。友達と楽しく遊んだあと、家に帰って1人になると急にどうしようもないくらいネガティブな感情が押し寄せてきて、でもまた外では友達と楽しく過ごす、みたいに上下が激しかったです。また、アルバイトを始めて自由に使えるお金を手に、お菓子を買う頻度が増えました。休み時間の度に女子のグループで1人ずつ持ってきたお菓子を開けていたので、休み時間には毎回お菓子をつまんでいました。この時期はとにかく食欲が爆発していて、食事以外に大福や菓子パンをよく食べるようになりました。そして、砂糖依存の原型が完成しました。

大学生

母子家庭だったのですが、大学に進学させてもらいました。大学では以前から興味があったデザインを学ぶ事ができ、それが本当に楽しくて夢中になって日々を過ごし、有意義な大学生活を過ごす事ができました。私の取り組みや制作物を周囲に認めてもらえ、自信を取り戻し心も落ち着いてきました。この頃もずっと不調はあったのですが、でもそれよりもデザインに夢中で気にならない毎日でした。

が、卒業のタイミングで新たな不調がやってきました。突然、喉が苦しくなって動悸がし、その場にじっとしていられなくなりました。とにかく「水、水!!!」と思い、トイレに駆け込み手洗い場の水を手に溜めて一口飲みました。するとすぐに落ち着いて平常心に戻りました。その時は「喉乾いてたのかな〜?」なんて呑気に考えていましたが、後からわかったそれはパニック発作でした。

社会人

就職のタイミングで上京しました。憧れだった師匠の元で働ける事になり、ワクワクとドキドキが入り混じっての新生活がスタートしました。が、慣れない東京、慣れない仕事、一人暮らしの寂しさにすっかりやられてしまいました。この頃からまた不調で悩むようになり、パニック発作、過呼吸、電車に乗れない、急に咳が出て止まらなくなるなど日常生活に支障をきたすようになりました。ですが、小学生時代に培った「我慢して不調と戦うスキル」が身についていたので、そんな中でも何とか6年間働き抜くことができました。そして砂糖依存な食生活もここで完成系を迎えます。出勤ギリギリまで寝ていて、会社着いてからお菓子つまみながら仕事して、お昼は余裕があればみんなで外食(余裕なければずっと作業)、夕飯はコンビニで買ってきて作業しながら食べて、そのまま深夜まで仕事、帰り道にコンビニでお菓子屋やアイスをいくつか買って食べながら帰る(コンビニはしごする日も多々)。みたいな、最悪な食生活をしていました。

色々試した時代

独立したものの、体はボロボロだったので元気になりたくてたくさん試しました。整体や漢方から始まり、ホットヨガ、玄米菜食、栄養、サプリメント、マイヤーズカクテル点滴、パーソナルトレーニングなど、、、健康になりたくて色々試し始めます。が、どれだけ健康的な食事を試してもお菓子の過食はやめられませんでした。食べずにはいられなくて、一度食べ出すと気持ち悪くなるまで止まらない。「お菓子が悪いんだ。お菓子さえ辞められれば、、」と思うようになりました。そしてお菓子を食べたあとは必ず自分を責めるようになります。

子育て

そうこうしているうちに、赤ちゃんを授かりました。妊娠中はつわりがひどかったり、安定期に入ってからもめまいや吐き気、疲れやすさが酷くご近所への外出が精一杯でした。どこかに相談しても「妊娠中だから疲れやすいのは当然だよ」と言われます。娘が無事に産まれてきてくれて育児が始まってからも疲れやすさが取れず、どこかに相談しても「産後だから当然だよ」と言われます。だけど、同じ時期に出産した友達は電車に乗ってお出かけを楽しんでいる様子。「あれ?本当に当然なの?私だけおかしくない?」「公園に連れて行ってあげたいのに、そんな気力が出ない」「ずっと寝ているママで娘に申し訳ない」と、またネガティブ思考がループするようになりました。どんどん不調もひどくなり、特に梅雨〜夏にかけてはだるさが酷くて起きている時間の8割くらいを横になって過ごしていました。

ブレインアップデートに出会うまで

2022年の梅雨時期から少量の不正出血が止まらなくなりました。出血し始めた頃、1度病院で診てもらいましたが異常なしとの事で「少量だし、とりあえず様子みるかぁ」と言っているうちに、気がついたら2ヶ月続いていました。そして、ある日突然、堰を切ったように大量出血が始まりました。本当に大量に血が止まらなくて焦りました。5時間ほどで落ち着いて来て、その時感じたのが「子宮が悲鳴を上げて泣いている。何とかしなければ。」という感覚でした。そこから色々調べているうちに、幼少期から私と同じような不調やネガティブ思考があったけれど、食事を変えて手放すことが出来た方に出会いました。「ぜひ学びたい!私もこの不調ばかりで不便な体を手放したい!」と思い、早速実践し始めました。すると2ヶ月で出血が止まり、その2ヶ月後には10ヶ月ぶりに生理が来ました。その食事法のおかげで娘と公園に行ける日も増えて来ました。短時間の外出なら電車に乗って出かけることもできました。ですが、お菓子だけはどうしても辞められなかったのです。調子が良い時期と悪い時期が交互にやってくる感じで(そんな一気にガラッと元気になるわけではない、と今ならわかるのに)調子良いと思ったのに、やっぱり悪い時期がくるのはお菓子のせいだと思い込むようになりました。そして、食事に整えてもお菓子がやめられないという事は心の問題なんだな、と自分の中で認めざるをえませんでした。じゃぁ、次は自分の心と向き合いたいな。と思っていたいたタイミングで、たまたまブレインアップデート体験会を知って「これだ!!!」と思いすぐに申し込み、2023年の春から4期生として学び始めました。

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