頑張りすぎについて筋反射で深掘りしていくと下記のことがわかりました。
・頑張りすぎてしまうのは、自己否定から来ている
・自己否定リスト「2番『美の知恵』」の内容
・時期は、誕生の時
・相手は「お母さん、お父さん、家族全員、そこに居た人」
まずは、「美の知恵」の内容をセルフイメージに置き換えて解釈してみました。
お母さんと、この分娩室にいる方々と調和してこの世に誕生しようと、死の物狂いでエネルギーを与えました。だけど、見返りに私が受け取ったのは、私の意思とは関係なく、冷たく機械的に一方的に誕生させる方法でした。死に物狂いで調和を求めていた私にとって、これほど残酷な仕打ちがありますか?こんな絶望しか与えてくれない関係を認める方法はありますか?私が調和を得ることは決してないという事がわかりました。そんな事を私が起こせる力は決してありませんでした。死ぬ以外に私が選ぶことができるのは、ただ一つ、あの人たちと同じように心無くなることです。自分が感じるままにしていたら、また傷つくことになると分かっています。多分、今傷ついているよりも、もっとひどく!
ここでわかった事は
・母と調和したかったのに、気持ちが届かなかった(絶望感、悲しみ、苦痛)
・私には調和する力がないんだ(諦め、無力感)
・もう、傷つきたくない(心を無くす)
次に、内容をアレンジしてアファメーションを読みます。
私は私として生まれてきたことを認め、私と調和しています。私は自分自身の美しさを吸収し、自分自身との関係の中で美しくなるがままにしておきます。そして、私は自分自身を本当に受け入れて、自分自身の美しさを認め、また自分自身の美しさを世界に与えます。
おお!何だかスッキリ。私、まだまだ自分を受け入れられていないんだぁ。頑張りすぎちゃう自分も受け入れて認めていけばいいのかもしれない。その都度、頑張りすぎた事にちゃんと自分で気が付いてケアまでできるようになればOKなのかな。
筋反射で聞いてみます。
「そういう事ですか?」
→「NO」(力が入らない)
(え、、違うの?!)
「頑張りたくない事に気が付いて欲しい」
→「YES」(力が入る)
「やりたい事は頑張ってもいい?」
→「YES」(力が入る)
「与えることも望んでいる?」
→「YES」(力が入る)
「誰に対して?」
→「家族」(YES)
→「仲間」(YES)
→「世の中」(YES)
そっかぁ〜。私、頑張りたくなかったんだ(笑)今までは、やりたい事もやりたくない事も心の声を無視して全部頑張ってたんだ。確かに私は次から次へと流れるように機械的に物事をこなす傾向がある。そして、やってくるタスクに対してそのまま流れでこなしてしまっていたかも。その時って「心無くした」状態だったなぁ。そして「与える」ことも望んでいたのか…!今まで見落としていた視点だったな。今からは、ひとつひとつに一瞬手を止めて「今」を意識してみよう。つい日常のあれこれに巻き込まれてしまうけれど、折に触れて「いま頑張っていなかいかな?」ってちょこちょこ見直そうと思いました。また変化があったら記録していこうと思います!
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