この1ヶ月くらい「頑張りすぎ」というテーマが、私の中にずっとありました。
6年のお付き合いがある家族のようなクライアントさんから「さおりんは、頑張りすぎだと思う。無理しないでって思うけど、でも無理しちゃうのがさおちゃんなんだよね。」と優しく指摘してもらったり、ブレインアップデートの大好きな仲間から「真面目で前向きに取り組んでいて素敵だなぁと思っているよ。頑張りすぎないと良いなぁと思うくらいにね。」と、愛のある言葉をかけてもらったり。「頑張りすぎな自分」に向き合ってみたら?というお知らせが来ているのは気が付いていました。でも、なかなか行動に移せませんでした。「お?今日はちょっと書いてみたいかも?」と思ったので5秒ルールで書き始めました。ブログを書きはじめた瞬間、強い眠気と無気力感がやってきて、体が拒否しているのを感じます。でも書きます!!(←これも私の中の「頑張りすぎ」が顔を出しているような、、)
ブレインアップデートを学び始めるまでは、頑張りすぎと言われてもあまりピンとこなくて「私なんて全然頑張れていないよ」って思っていました。これは、自分の頑張ったこと(というか、できること、当たり前のこと、存在そのもの)を認められていなく、現実的ではない理想を掲げては上手くいかなかった部分にフォーカスして「まだまだ、頑張らないと…!」と無理をしていた状態だったと思います。
そもそも、頑張りすぎって何だろう?日常の中の具体的な事を考えてみました。
・家事や仕事、気分が乗らなくてもやってしまう。→それで疲れてしまって娘と遊べなかったり、本当にやりたい事ができなかったりする。
・6割で良いところを、10割目指してしまう。→朝活でバイロン・ケイティの「The Work」に取り組んだときに、張り切って20枚印刷して「よし!やるぞー!」と、やってしまった。(これは流石に自分でも「そういう所だよ!」とツッコミたくなった。笑)
・細かいところに、こだわってしまう。→このブログ始めるときも、最初はアメブロにしようと思っていたけれど、見た目が好きじゃないという理由で、過去に手を出して放置していたワードプレスで作り始めた。(それなりに時間がかかり、大変だった。笑)
だけど、それぞれに良い部分もあったのです。頑張りすぎちゃったかもしれないけれど、それによって得られた恩恵もあるのです。考えれば考えるほど、わからなくなってきます。もしかしたら、こうして「頑張りすぎ」について深掘りしてるこの行為が「頑張りすぎ」なのかもしれません(笑)
この記事を書いていたら娘の邪魔が入り、途中で中断しました。引き続き強い眠気があったので気づいたら少し寝てしまっていました。途中「ママ、寝ないで!!」と何度も娘に起こされたり、「お風呂の排水溝どうしたらいい?」と夫に話しかけられたような気はしました(夫は潔癖症で排水溝を触れない)。とても遠くの世界から話しかけられているような感じで、全然動けない。まさにエネルギーがゼロで起き上がれない状態になっていました。
ふと、前回の講座の原始反射のワークを思い出しました。今のこの状態が、ワーク時の「生まれられない感覚」に似ていました。「もしかして、私の〝頑張りすぎ〟は、私が生まれる時から関係しているのかも…?」
実際、私は生まれるまで時間がかかりました。母からも「大変すぎて意識があんまりなかった」と感想を聞いたことがありました。最終的には陣痛促進剤を打ってもらい、吸引器を使って出してもらったそうです。あぁ、私は自分の力で生まれてくることが出来なかった。もしかしたら自分の心の準備ができていないまま生んでもらったから納得できてなかったかもしれない。なのに、生まれた瞬間「おめでとう〜!!」と祝福してもらい、「え?私自分の力で生まれられなかったんだよ?自分の力で頑張れなかったんだよ?それなのに祝福してもらっちゃって、もっと頑張らなくちゃ。」と、罪悪感を感じて、自分に頑張ることを課したのかもしれません。
「私は頑張り続けなければいけない。頑張っていない私には価値がない。頑張って無理しなければならない。」みたいな設定をしちゃったんだろうなぁ。今から筋反射で、体に聞いてみようと思います。長くなりそうなので、続きは次の記事に書きます。
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