講座の中で「ヒプノティックリズム」を終わらせるワークをやってもらったのですが、私がヒプノティックリズムをまわすきっかけになる出来事が「え?そんなきっかけだったの?」という内容で驚きでした。
私が向き合いたい恐怖は「孤独」でした。信治先生に筋反射をとってもらいながら、味わい切れていない大元の出来事を体に聞いて調べていきます。すると「7歳のとき、同級生の男の子」という答えが出ました。「え!?家族じゃないの?」と驚きました。そこで、思い付いたのが「ケンタロウくん」でした。小2の頃、同じクラスで絵が上手い男の子でした。確かめた事はなかったけれど、お互いに好意を持っていたような気がします。両親の離婚で私が突然転校することになり、気持ちを確認できないまま、ちゃんとお別れもできないまま、会えなくなってしまいました。その時の感情をちゃんと味わえていなくて、ずっと無視したり逃げたり誤魔化してきたから、現在に至るまでずっと孤独の恐怖に繋がっているということがわかりました。
以前、BUの仲間とこんな事を話をしてくれました「家族とか、大きな出来事の解放は案外簡単に気がつけるけど、些細な小さな棘のような出来事の感情の解放が案外難しいんだよね」。その時は「ふ〜ん?」と、あまりピンときていなかったのですが、まさに今回の出来事がそうでした。ケンタロウくんの存在なんて先生に誘導されるまですっかり忘れていたし、別にお付き合いしたわけでもないし、学校以外で遊んだりするような仲でもなかったし、ただ同じクラスでお互い意識していた程度の関係でした。そんなところに今につながる孤独の恐怖の種があったなんて考えたこともありませんでした。
「その時の感情はどうやって誤魔化したの?」と信治先生から投げかけてもらって、咄嗟に「絵を描いてた」と答えました。これにも自分で驚きました。私は幼少期から、絵を描いたり、ものづくりが好きでした。それって私にとっては「誤魔化しのツール」だったのか、、、!家では母に構ってもらえないから絵を描いて時間をやり過ごし、幼稚園では友達の輪に入れないから絵を描いて過ごし、、、絵を描くのが好きなのではなく、自分の感情を誤魔化すために絵を描いてきたのか。そして、今もそれを仕事にして、ずっとずっと自分を誤魔化して生きてきたのか、、、。最近「デザインの仕事は本当に自分がやりたい事じゃなかったのかも」と気がついて、一旦手放そうと決めたところでした。今回のワークを受けて、それが確信に変わりました。私は自分を誤魔化し続けたいわけではない。私が心からやりたい事をやって生きていきたい。
そして、そのケンタロウくんとの出来事の感情を味わい、孤独のヒプノティックリズムを終わらせるワークをやってもらいました。先生に誘導してもらい、その時の事を思い出しながら、ひとつひとつ感情を味わっていきます。分離感、無力感、後悔、悲しかった、もっと話したかった、両親への怒り、今まで誤魔化してきた感情がどんどん出てきました。次に、その感情と逆のアファメーションを入れていきます。(なんて言ったか覚えていないけど)だんだんと体が熱くなってきました。ちゃんと味わえたのか?何が起こっているのか?いまだに頭ではよくわかっていないけれど、体はちゃんと反応してくれました。そしてワークが終わる頃には、内側から情熱が溢れてきました。
誰と居ても、孤独な感じがするのは相手が原因ではなく自分に原因があったんだ。心にぽっかりと穴が空いた感じがするのは、自分の感情を誤魔化して楽しいフリをしていて、調和したフリをして、自分の中で分離してしまっていて、自分の感情を無視していたから、その見えていない感情があるはずの部分に穴が空いた感じになっていたのかも。自分の誤魔化された感情が孤独を感じていたのかも。あぁ、そうだったのか。自分が誤魔化したり逃げたりするところから分離が始まるのか。認めて、受け入れて、味わえばいいのか。まずは自分とひとつになるってそういうことか。あ、これも真治先生が何回も教えてくれていたことだったな。頭でわかったつもりになっていたけれど、やっと腑に落とすことができました。
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