それぞれの解釈、それぞれの世界

ブレインアップデート

先日、何気ない会話の中で「まわりの人は私のために動いてくれてると思っている。その人が自分の意思とは関係なしに、私のために都合のいい行動をしちゃっていると感じる。」と相手が話してくれたとき、すごく自分の心がザワザワしました。

私は「世界の中心はその子で、まわりの人は自分に都合がいいように存在している」と言っていると解釈をしました。そして「え?そう思いながら人と関わっていたんだ。そして私もそう思われていたんだ。」という思考が巡って、すごく悲しくなりました。

その気持ちを伝えたら「悲しいけど、残念ながらそれが真実だからね」と言われました。「あ、あの子の中でこの世界はそういう解釈なんだ。人を自分とは違う尊い存在として尊重せずに、人を自分に都合のいい存在として軽視しているんだ。」と感じました。でも、その子の言動に関して今までそう感じたことはありませんでした。だからこそ、それすら相手に感じさせないように上手く振る舞っていたのかな?とか考え始めてしまいました。そうしたら私の中でネガティブな感情が充満してきて、しばらく何も言えなくなりました。

相手の言葉が受け入れられないときは自分の中の問題だとわかっていたので「これは私の問題だ」と切り替えて考えていました。「私は、自分中心に考えることを悪いことだと思っていたんだな」「私は相手のことを尊重しない人を、冷たい人だとジャッジしていたんだな」と、私はその世界にいたことに気がつきました。「じゃぁ、自分は一度もそう思ったことはないのか?」と考えてみました。すると、あれ?もしかして、自分で気づかないふりをしているけれど、私も人に対して「都合のいい動きをしてくれている」と思っているんじゃないかな?と思い始めました。

普段何気なく「ありがとう」と感謝を表現していますが、実はそれって「私のために都合のいいことをしてくれて、ありがとう」って意味だったんじゃないの?と、疑問が生まれました。私は今まで相手に向けた敬意や祝福を表現するために「ありがとう」を使っていると思っていました。単純に自分が「ありがとう」と言われたら嬉しいし、だから相手にも気軽に使っていました。だけど「ありがとう」は相手のための言葉ではなく、私のための言葉だったのか…?「ありがとう」は誰かに言ってもらうための言葉じゃなくて、「まわりの人は皆んな自分のために動いてくれているね〜!ありがたいね〜!私ってすごい存在だね〜!」みたいな感じで自分を祝福するための言葉だったの?ていうか「感謝」ってなんだろう?今まで思っていた「感謝」ってすごーーーく浅い部分しか感じていなかったのかも…?

私の今までの概念が変わりそうで怖い。もっと考察すれば何か気づけそうな感じはするけど、ここから先は思考が巡らなくなりました。私はまだ、気づきたくないのかな?

だけど、その子の言う「まわりのひとが自分のために動いてくれる」って感じるのは、ブレインアップデートで学んだ「創造主の自分」ってことなのかも、、と気がつきました。目の前にあるすべては自分が作っている世界だから、「今の環境や起こっている出来事だけではなく、関わる人だって自分が相手の言動を創っている」という考え方です。「まわりのひとが自分のために動いてくれる」という言い方だと語弊があるけれど、「まわりの人の言動は、自分の解釈次第で変わる」みたいなニュアンスかな?

最近感じたことで、こんな例えがあります。うちの娘が寝付く時や朝方に、必ず私を蹴ってくるんです。しかもそこそこ強い力で!笑。私はそれがずっと嫌だったのですが、先日保育士の知人にその話をしたら「娘ちゃんは、足の感覚でママの存在を確かめているんだね〜!」と教えてくれました。その時に子供の足の感覚についても教えてもらって、私の解釈がすっかり変わりました。今までは特に朝方なんて「まだ眠いのに蹴られて起こされる。もうちょっと寝ていたいのに、何度も蹴られて眠れない。いやだ!」と思っていたのが、「そっか〜。私を感じたいんだね〜。」って思いながら蹴ってきた足を撫でて「ママいるよ」ってお返事するようになり、蹴ってくる足を愛おしく思えるようになりました。解釈でこんなに変わるなんて自分でも驚いています。

ひとつの出来事を、そうやっていろんな方向から解釈できると、自分が選びたい解釈で物事を見られるようになります。被害者意識で世界を見ていると、人は自分を傷つけてくる存在に感じることもあるかもしれません。だけど、創造主の視点で世界を見られるようになると、嬉しいことも、大変なことも、全部自分のために人が関わってくれているように感じられるようになるのかな。私は時々そう感じられる時もあれば、被害者意識で過ごしている時もあるので「まわりのひとが自分のために動いてくれる」という世界はまだ知りません。

いま同じ空間に存在して、同じ時間を生きていても、きっと見えている世界はひとりひとり違うんだろうな。だからお互いの強みを活かして助け合えるし、人との関わり合いの中で悩んで気づいて成長してくんだろうなぁ。

さおりん

さおりん

幼少期からの不調やネガティブ思考、お菓子の過食を手放して人生のステージを上がっていく、そのリアルな記録を発信していきます。

特集記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

TOP