天然石好きの夫が、ある日突然「天然石を研磨するワークショップに行きたい」と言い出しました。私もBUを学び始めてからほんのり鉱物に興味が出てきていたタイミングだったので「一緒に行きたい!」と乗っかって、2人で出かける約束をしていました。
「夫婦」シリーズで書いている一連のモヤモヤを夫にも時々シェアしていたので、行きの電車の中で「どうして結婚したのか?」の話題になりました。(「木」が成長するために、スタートを思い出すってやつ。)そもそも、私たちが結婚するきっかけになったのは子供ができてしまったからでした。その子は生まれてくることが出来なかったのですが、戸惑い、喜び、そして大きな悲しみを一緒に体感することができて「この人となら、この先の人生何があっても一緒に乗り越えて行けそう。」と、私は思いました。そして、その会えなかった子は「今の夫とずっと一緒に居てね」「デザイン頑張って続けてね(社会人2年目の時だったので、デザイナーの道は一旦諦める?と考えていた)」という大事な2つのことを私に伝えるためにお腹に来てくれたんだとずっと思っていました。
一方、夫の方は、なぜか少し罪悪感があったそうです。今までにお付き合いした方は「大好き!!一緒に居たい!!」みたいな情熱的な気持ちでおつき合いに至ったらしいのですが、私の場合は「忙しくてしばらく会えなくなるのが寂しいな。ダメ元で告白してみようかな?」って気持ちで告白したらしく、今までみたいな情熱的な気持ちが無かったのを少し負い目に感じていたそうです。(10年の時を経て、はじめて聞きました!)
そんな夫から、プロポーズの時にもらった手紙を見返してみました。その視点で読むと、確かに情熱的な内容ではなく「一緒に居ると心が和むから、ずっと一緒に居よう」みたいな内容でした。そういえば、私も夫に対しては情熱的な「好き!」という感情よりも、落ち着く気持ちや夫に対しての絶対的な安心感みたいなものを感じていたと思います。子供の頃からよく体調を崩していた私は、具合が悪くなると母から「え?また?」みたいな面倒臭いという感情を受け取っていました(私が勝手にそう受け取っていただけ)。だから具合が悪いと訴えることに罪悪感がありました。だけど、夫は私が「具合悪い」と言うと、いつも優しく気遣ってくれたのです。それもすごく嬉しかった記憶があります。この人なら安心感があるし、私が辛い時や苦しいときも優しくしてくれる…!(笑っちゃうくらい依存的だな。笑)私がそうだったのと同じように、夫もそうだったのかもしれないな、と思いました。手紙を要約すると「さおりんは優しいし、落ち込んだ時に慰めてくれるし、一緒に居ると落ち着く」という内容でした。お互いに相手から「大事にされる」「安心させてもらう」事が初期設定ではじまった結婚。きっかけはそれでもよかったと思います。ただ、そこから1歩も成長できなかった私たち。そりゃあ、こうなって当然だな。と気がつきました。
そんな話をしていたら、あっという間に目的地だった銀座に着きました。鉱物の原石を選んで磨いたり、宝石研磨の伝統工芸士の方にお話を伺ったり(鉱物とマグマのエネルギーの話しとか面白かった!)、帰りに買い物したりして、とても楽しい時間を過ごしました。娘と3人で出かけると必ずトラブルが起こるのですが、2人だとずっと穏やかな空気が流れていて「あぁ、こういう安心感だったな〜。これが居心地よかったんだよな〜。」と、思い出しました。最寄駅に着いて夕食を買って、実家に向かって歩いていました。その日は、すごく綺麗な夕焼けで、思わず二人とも立ち止まりました。夫はスマホを取り出して写真を撮っています。夫「オーロラみたいだね。」私「うん。ほんとだね。そういえば新婚旅行でオーロラ見に行ったよね。」そこから先は会話はなかったけど、私はそこで見たオーロラやその時の感情を思い出していました。なんかこれもメタファーっぽいな。
この日気が付いたこと。私たちはコンフォートゾーンから抜け出したくなくて成長を止めてしまっていた事。だから娘という強制的に成長が必要な要素が入ってバランスが崩れ始めたかもしれません。五行でいうと「土」お互い共感できて、心地よかった。お互い「土」の共感し合う部分しか見えてなくて(見たくなくて)偏った視点。残りの4つの要素も持っているのに、それをお互いに目を背けていたのかも。ここ数日会話している中で、夫は「ずっと変わらない二人の安心な世界」に居ることを望んでいるのかなと感じました。私はいまそこから抜け出す。いつでも、どんなときでも、自分で選択する力を持っている。純粋に自分自身の成長のために全てを受け取って、味わえる。まずは自分で自分を満たした上で、周りの人に、社会に、世界に、後世に貢献できる私になった。
少しずつ、ほんと0.1mmずつくらい、反発の気持ちが整ってきているような気がするけれど、今のところ大きな変化はなくて、やっぱり私はまだこれを↓腑に落とせていない。
「純粋に自分自身のために、私は夫の言葉、態度、すべてを感謝とともに受け取ります」
「私は、夫からのすべてを、心からの感謝とともに味わっています」
ちょうど先日の朝活で「エモーショナルエンジン」の話になって、「反発」を解放するワークをやったけれど、それでも実感できる変化はありませんでした。後からジワジワ効いてくるのかな?しかも、このタイミングで高熱が出て、たくさん夫に助けてもらいました。「仕事を休んで娘を見てくれて助かった!本当にありがとう!!」という気持ちは充分にある。「スイカ食べたい」と私がワガママ言うものだから、わざわざちょっと遠いスーパーまで買いに行ってくれました。それでも「反発」は私の心にずっと居座っていました。(あれ?私また4歳児の娘みたいになってない?)
私の中に「地雷」がまだまだあるのかなぁ。音声診断で相談したら「反発しちゃう自分もOK!」って思うと良いよ。というアドバイスをいただきました。確かにそうだ。私はまた「反発」を悪とジャッジして、解消しなければいけないと考えてしまっていた事に気づかせていただきました。まだまだありのまま全部を受け入れられていない自分にも気づかせていただきました。ブログでたくさん吐き出せたおかげて、ようやく少し落ち着いた感じがします。
◆夫への感情を通して、自分と向き合う「夫婦」シリーズ記事
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