伝説のスピーチ

ブレインアップデート

2023年6月3日、伝説のスピーチにチャレンジしました。私は自分の話しが相手に伝わらないなぁと思う事がよくあり、特に「説明をすること」「大勢の前で話すこと」に、かなり苦手意識がありました。だけど勇気を出してブレインアップデートの仲間の前でのスピーチに立候補しました。当日は娘が大暴れで用意した内容を話す事ができなかったので、ここに全文載せてみます。

本日はミッチ20周年記念パーティーにお集まり頂き誠にありがとうございます。
皆さんご存知の「オーバーオールを着た白クマがモチーフのキャラクター“ミッチ”」は、
今から20年前の2033年に私が出版した1冊の絵本から始まりました。
2023年に初めてブレインアップデートを学んだ私は自分の中の変化に驚きました。
当時4歳だった娘にもシェアしたいと思い、家に帰って伝えてみようとしましたが
ただ伝えるだけではあまり興味がなさそうだったので
何か別の方法が必要だと感じました。
そこで「絵本だったらどうだろう?」と、ふと思いついたのです。
幼少期に何度も読んだ絵本は自分の中に深く刻まれ、大人になっても頭の片隅に残り続けます。
また、読み聞かせするお母さんにとっても
何度も口に出して読む事で、耳からも入り
ひとつの考え方として、だんだん頭に入っていきます。
そうしたら新たな気づきを得られたり、悩みがなくなったり、
前向きな日々のきっかけになれるのでは?と考え1冊の絵本につながりました。
それが今では、先日シリーズ20作目を出版し、
英語、中国語、韓国語にも翻訳されて世界中に広がり、
シリーズ累計で100万部を突破したところです。
おかげさまで、白クマ“ミッチ”もたくさんの方に可愛がって頂き
様々なグッズも作られてきました。
ミッチは私の死後も増刷を繰り返し
たくさんの方に大切な事を伝えてくれると信じています。
そして、その考え方が当たり前となり
恐れや不安、争いのない世界となり
一人一人、自分が心からやりたい事に気付き
充実した日々を過ごせている未来が想像できます。
今日は私の人生を振り返り、学んだことを
みなさんにお話しさせていただきますね。

私は幼少期からお絵描きや工作が大好きでした。
私が何か描いたり作ったりする度に、母はとても褒めてくれました。
それが嬉しくて、創作に励んできました。
そのまま大きくなり、デザインの大学に進みます。
そこでは、建築、家具、写真、版画など様々な創作を学ぶことができ
一通り夢中になった後、最終的に卒業制作では
グラフィックデザインの分野を選びました。
アートと違って、グラフィックデザインは何かしらのメッセージを伝えるという
相手ありきの表現で、そんな部分に惹かれました。
大学4年生の春になると周りでは就職活動が始まりました。
が、私はその時は卒業制作に夢中で「就活はあとでいいや」と、何もしていませんでした。
ただただ、今やりたいという気持ちに従って卒制に向き合い
皆んなが合同説明会に行っている時に
私は美濃和紙の伝統工芸士のおばあちゃんに弟子入りして
和紙作りを学びに行ったりしていました。
そして3月、卒業式で大学から賞を2つも頂き
輝かしく卒業を迎えることができました。
が、もちろん就職先は決まっていなく「さて、明日からどうしましょう」という状況でした。
周りから心配されて色々言われましたし、全く不安がなかったとは言えませんが
自分の中で「卒業したら、東京のデザイン事務所で働く!」と決めており
まだ何も決まっていないくせにワクワクの方が勝っていました。
この時はまさに自分の未来に杭を打てていて、その未来を信じて疑っていない状態でした。
そこで私は「この人なら!」と、思えるデザイナーが主宰している
デザイン事務所をリストアップして片っ端から連絡していきました。
その中からポートフォリオを見てもらう約束を取り付け、東京に向かいます。

飛行機に乗り、羽田空港が見えてきて、間もなく着陸という所で機体が急上昇しました。
「あれ?どうしたのかな?」と思っていると
「ただ今、地震が発生しました。滑走路の安全が確認できるまで上空待機します」と
アナウンスが入りました。
その時は「じゃぁちょっと遅れて到着かな?」なんて呑気に考えていましたが、
15分経っても、30分経っても着陸する気配はありません。
隣の席は空席で話し相手も居なく、見通しが立たない状況に、だんだん不安が込み上げてきます。
しばらくすると「給油のため一旦、中部国際空港に向かいます。」とアナウンスが入りました。
空港に着いても飛行機から降りられず機内で待機することになりました。
ただ、携帯の使用は認められました。
そこで初めて事の重大さに気がつくのです。その日は2011年の3月11日でした。
ようやく飛行機の外に出られたのは出発してから10時間後でした。
最終的に目的地だった羽田に戻ってくることができました。
が、もちろん電車は動いておらず余震の警報が鳴り響く、真っ暗な空港で
孤独と不安と戦いながら一晩過ごしました。
翌日、何とか予定通りポートフォリオを見てもらいに行くことが出来、
そこのデザイン事務所で働かせてもらえる事になりました。
後から聞いた話ですが、本当は採用する予定はなかったそうです。
だけど、こんな大変な状況の中、わざわざ北海道からきてくれたというフィルターがかかっての
特別枠での採用だったそうです。
ピンチはチャンスという言葉は何度も聞いたことがありましたが、
人生で初めてそれを体験しました。
また、翌日の飛行機で北海道に帰ったのですが
その日は天気が良く、景色がよく見えました。
東北地方の地形もよく見えました。
所々水たまりが出来ているように見えました。
そこは、津波の水が残っているところでした。
眺めているうちに涙が溢れてきました。
昨日のフライトではいつも通りだった日本地図の上に
今日になったら水らまりが出来ている。
それは、明日が来る保証なんてどこにもない。
という事を改めて思い知らされました。
泣きながら水たまりを眺めて「よし!今を全力で生きよう!」と強く思いました。

そんな今までの人生経験から
まず、未来に、できれば遠く遠くに杭をさしながら
今、この瞬間を生きて
自分を支えてくれる大切な人に対して
愛と感謝を持って生きる大切さを学びました。
みなさんの今日1日が、人生が
楽しい時間となりますよう心から願っております。

以上を持ちまして、ご挨拶とさせていただきます。
ご清聴ありがとうございました。

私の伝説のスピーチ

今から30年後、64歳になった私がスピーチをしているという想定で書いたスピーチでした。

その頃の私は、絵本作家になって絵本のキャラクターが大ヒットして、私のつくったキャラクターが世界中で愛されています。そして、その絵本の内容を読んで育った子供や、読み聞かせしたお母さんが幸せになって、争いや不安、恐怖のない世界になって、一人一人が心からやりたいことに夢中になる世界に、絵本を通して貢献できています。さらに、私の死後も絵本が増刷を繰り返し読み継がれて、次の世代へも貢献していきます。

想像しただけでエネルギーが湧いて来ます!!!楽しみ!!!

さおりん

さおりん

幼少期からの不調やネガティブ思考、お菓子の過食を手放して人生のステージを上がっていく、そのリアルな記録を発信していきます。

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コメント

  1. さおりん!
    素晴らしい!
    響きすぎて涙が出ています。
    めちゃいい!

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